教育研究所
No.269別れるということ(2009年08月19日)
佐野洋子さん著の絵本『100万回生きたねこ』について,柳田邦男氏が,次のように解説を述べている。
「絵本の中の雄ねこは,王様,船乗り,手品使い,泥棒,女の子等100万人の人に飼われて100万回生きて100万回生き返った。
このねこは,自分のことが一番好きで,飼い主を好きになることはなかった。
ところがこの雄ねこが,初めてある雌ねこを愛して,そしていっぱい子どもをつくる。
しかし,雌ねこは,死んでしまう。
雄ねこは,雌ねこに死なれて泣きに泣いて,自分も泣き明かして結局死んでしまう。
今度は生き返らなかった。
絵本は,最後,名もない野の花と草むらの自然のありふれた風景の場面で終わっている。
この雄ねこは,本当に愛することを知り,生を全うしたので,再び生き返ることはなかったのではないのか」と。
「別れること」の中で生きているものにとっての,最後であり,一番重い「死」という話になってしまった。
しかし,「別れること」には,「死」だけでなく,たくさんの場面がある。
生きている間には,いろいろなことと出会う。出会うだけ別れもある。
学校は,出会いと別れの場である。
出会いと別れの繰り返しでもある。
毎年,4月に新しい子どもたちを迎え,3月に卒業する子どもたちを見送る。
子どもたちは,多くの教師に出会い,友達に出会う。
この出会いと別れは,教師にとっても子どもにとっても,偶然のなせるワザなのかも知れない。
しかし,縁があって教師や友達に出会ったのだ。
この出会いは,子どもたちの人格形成に大きな影響を与える。
そう考えると,責任の重さを痛感すると同時に,大きな希望も感じる。
一方,一人一人の子どもたちに目を向けると,子どもたちにとっての1年1年は,2度とあるものではない。
学校は,工夫と情熱をもって,毎年子どもたちとの出会いを大切にする必要がある。
出会いを大切にするということは,子どもたちの力を思い切り伸ばし,生きることを全うできる教育を進めるということである。
数年後に理想的な学校になるということではいけない。
1年1年が勝負である。学級やクラブ活動や部活動での出会い,委員会活動での出会い。
担任の教師ばかりではなくいろいろな場面でのいろいろな教師との出会い。
一つ一つの出会いが,すばらしく,大きな意味を持つものであってほしい。
その積み重ねができ,教育活動を全うできたとき,卒業式で子どもたちとよき別れをすることができる。
そして,子どもたちは,この別れをバネとして,次の出会いに向かって進んでいくことができる。
大切な人間として扱われ,愛されていることを感じ,自分の力を出す方法を悟り,人間は捨てたものではないことを十分に知り,人と協力することのすばらしさを体得して,卒業していってほしい。
私たち教師は,そういう教育活動を作り上げていく努力を続けていきたいと強く願っている。(K・T)