教育研究所
No.264教師冥利-その4-(2009年06月15日)
「お前らぶっ殺すぞ!」,
「いつかうまい鮨を食べさせてやるからな」
この二つの言葉は,今でも,T先生の心に鮮明によみがえってくる。
中堅教員として張り切っていたT先生は,中学2年生の担任で転校生A男とかかわった。
両親が離婚,母親と二人暮し,新聞配達をしていたA男は,転校後も学級や学校に溶け込もうとせず,級友との関係にもほとんどかかわりをもとうとはしなかった。
授業中は窓外の風景を眺めているか,机にうつぶしていることが多く,毎日,帰りの学級の時間が終わると,逃げるように教室を走り去っていくという印象が強かった。
そんなA男であったが学校を休むことはほとんどなかった。
二学期半ば,珍しく何の連絡もなくA男が三日間休んだ。
私は,学年主任から「家庭訪問に行くことを相談され,放課後2人でA男の家を訪問した。
母親の中学校時代の担任でもあった学年主任から,「母親から,来てくれ」という,電話があったことを聞かされた事情もあった。
訪問すると,母親は取るものも手に付かずという様子で,
「A男は部屋の中にいます」
とだけ言った。
声を掛けると,
「お前らぶっ殺すぞ!」
と大声で叫んだ。
バットを持って部屋に閉じこもっているという。
この日は,私たちは,母親からの話を聞くことだけにとどめ,結果的にA男には会わずに帰ることにした。
家庭内の問題が,A男をここまで興奮した行動に追い込んでいることが分かったからだ。
20年近くも前のことであるが,冒頭の2つの言葉は,T先生にとっては忘れることのできない言葉であり,結果的にではあるが,あの時,A男に会わずに帰ってよかったのだという強い思いが今でもある。
「どの子にも他人に対しても,(学級担任であっても)立ち入ることのできない,また,立ち入ってはならない世界があるのだ」という状況や現実を教えてくれた言葉なのである。
最終学年も引き続き担任となったT先生は,A男が少しでも心を開いてくれるよう努めたが,彼は,心を閉したまま進路も定まらないまま卒業していった。
しかし,一言笑顔で,「いつかうまい鮨を食べさせてやるからな」と言い残してくれていた。
過日,10年ぶりにクラス会が開かれた。
T先生は,幹事からA男が寿司屋で働いていること,先生に会いたがっていることを聞いた。
まだ,「うまい寿司」の相伴にあずかってはいないが,実現の日は,そう遠くではないことだろう。
心待ちにしているT先生の昨今の心境である。(S・T)