教育研究所
No.263自然の恵み,自然への畏怖(2009年05月27日)
昨年の手帳に小さく書き込んだ記録を見ると,6月の初めの日曜日のすみに「キイチゴ」とある。
数年ぶりだったので,もちろん鮮やかに記憶している。近くの,手入れの悪い雑木林で下生えの黄いちごを収穫した覚え書きだ。
なんせ千葉・船橋の奥の方にすんでいるので,出入り可能なそんな場所がわずかだが残っているのだ。
いわゆる「モミジイチゴ」というのがこの野生のイチゴの名前だが,タイミングよく休みのとれた日に,タイミングよく散歩に行きあわせないと昨年のような好機はまれにしかない。
このときは,スーパーのポリ袋に「持ち重り」のするほど摘んで帰ったので,かなりの収穫だった。
何度も洗って,生食を楽しんだあと,たっぷりのジャムをこさえたので,家内の評価もまあまあだった。
職場の女性たちにも試食してもらったが,こちらは世辞入りの評判が上々だった。
江戸東京博物館で手塚治虫展が開かれている。
その圧倒的な仕事の量と繊細なペン使いに感心するが,子どもの頃,夢中になって読んだのはやはり『鉄腕アトム』だった。
ロボットの活躍する未来都市や乗り物に陶然としたものだ。
しかし,その未来都市を見て,ふと気がついた。
私たちも夢見た未来の街には,植物がほとんど描かれない。
野山を駆け回りながら,木々がぬぐい去られた理想郷を夢見ていたのだ。
文明とは野蛮な自然の克服というのが等価に感得されていた。
手塚治虫のせいではなく,20世紀半ばまでのごく普通の進歩観であり,逆に言えば,晩年,地球の未来のために環境を訴えた手塚でさえそうだったのだ。
宿泊行事で,山上で日の出を見るご来光ハイクや肝試しではない暗闇ナイトハイクを取り入れて子どもたちに体験させる。
日の出が始まると誰も感動の声のあと,無言になる。暗闇で動物の声や風の音を聞かせると,山の静かさと,そのしじまの中のかすかなにぎやかさに驚く子どもが多い。
頭で環境を論じさせることも大切だが,こうした自然への畏怖や謙虚さを体験させることも非常に大事だと思う。
このような体験の積み重ねが,自然の恵みへの敏感さも育てるのだと,放ってあるとはいえ,おそらく土地所有者のいる山林からの収穫の後ろめたさに言い訳をしている。
手帳には,次の週の日曜日の欄に,淡(は)竹(ちく)のタケノコ収穫と記入してある。
今年もそろそろだ。(H・I)