教育研究所
No.262「巡り合い,出会い」ということ(2009年05月13日)
私たちの生活の中には,多くの巡り合いと出会いがある。
かけがえのない人との巡り合い。
忘れがたい時やところ,想い出ぶかい出来事も巡り合いであり,出会いである。
巡り合い,出会いは偶然を伴う。
しかしその偶然は,一人の人間の世界観を拡げ,時として運命を大きく変えることさえもある。
先日の新聞に,89歳の男性が,大学の修士課程を修了したという見出しが躍っていた。
この男性がアルバイト先で出会った若い女子大生から大学生活の楽しさを聞いたことが大学院進学の契機になったという。
これはまさに,この向学心に燃えたこの男性と女子大生との大きな大きな巡り合いということになろう。
この女子大生は,自分の夢や将来の希望を,さぞ熱く語った事だろう。
触発されたこの男性は,夢でも見ているように,自己の未来を生き生きと見据えられたのだと思う。
なんて,素敵な出会いであり,巡り合いであった事だろう。
彼は,子ども時代,諸般の事情から進学をあきらめた悔しさもよみがえって,夜間中学,定時制高校,大学,大学院修士と学びを進めてきたという。
実に,13年間の時を経て,大学院修士課程卒業の日を迎えた。
「ここまで頑張れた」
と破顔一笑の満足げな老大学院生の写真が,私の目に焼き付き離れない。
この二人の巡り合いの結果は,私にも大きな勇気を与えてくれた。
話題を転ずる。
同新聞の投書記事に,中学校時代「ワル」のレッテルを貼られた少年が,専門学校へ進学し担任から励まされながら社会へと巣立ったことが載っていた。
「担任との出会い」のことが内容だ。
この担任は,
「君の出身校から届いた内申書や生活態度の項目は見るつもりはない。
スタートラインは皆同じ」
このような関係から出会いが始まった。
言うまでもなく,この教師との巡り合いは,自動車整備士をめざした少年の夢を立派に実現させた。
新聞に載っていた二つのことは,巡り合いの偶然さが共に心にとけ合い,それぞれの人生を大切に生るこということに結びついた。
偶然を伴う巡り合いや出会い。
前向きに考えようとする気持ちにあふれている時の素敵な出会いは,ちょっとした温かいことばや聴いてあげる優しさだけで,人間の背中を押してくれる。
こんな道もあるんだ,こんなやり方もあるんだと。
学校は,巡り合いと出会いの宝庫である。
学校は,活躍しようとする子どもたちと,大切に育てたいという教師の願いとが素敵にとけ合う時と場面もつくる。
教師は,子どもたちとの巡り合いと出会いを大切にし,共に学び成長したいと願いながら。(K・T)