教育研究所
No.252がんばることということ(2008年12月03日)
バス停でのこと。
「孫に,『保育園,今日もがんばってね』と送り出したのよ!」と孫自慢の華を咲かせる祖母らしき人に,「それはやめた方がいいよ。
『保育園,楽しんできてね』と言った方がいいよ・・・」とアドバイスする友人らしき人との会話が,聞こえてきました。
二人のお孫さん談議は,延々と楽しそうに続いていました。
「がんばるかぁ」,私の心のうちの声が聞えてきました。
「がんばる」は,私たちの日常生活ではよく使う言葉です。
あまり吟味もせずに口をついて出て来る言葉です。
また,私たちが好きな言葉でもあり,当たり前に,あいさつのように使っている言葉です。
しかし,自分に自信がない時や,まわりに元気のない人がいる時,急に気になる言葉でもあるのです。
忍耐がともない,努力し通すという意味をもつ「がんばること」は,いつもいつも,容易にできることではありません。
教室で,朝の学級活動の終わりに,子どもたちに,言葉にこだわりもなく「今日も,がんばろうね」と,笑顔と一緒に,「がんばろう」を発していた,担任時代の自分を思い出します。
この言葉を,ひとりひとりの子どもたちは,どのように捉えていたのでしょう。
子どもたちの思いには,いろいろなものがあったはずです。
ひとりひとりの子どもを大切にしながらと信念をもち教育に当たってきたつもりでした。
しかし,この言葉の使い方には,少し鈍感だったのかも知れません。
若くて元気いっぱいなときには気づかなかったことが,少々齢を重ねた今は,見えてくることや,気がつくことがいろいろあります。
「がんばること」もその一つです。
生き物である人間には,体調や心の変化があります。
また,人間には,生まれながらにして「得手」「不得手」ということもあります。
特に,老若男女を問わず,心の問題は敏感であり大切です。
その上,平穏な生活場面と不安を抱えての生活場面とでは,心のありようが大きく異なります。
「がんばること」は,私たちにとり,本来は大切なことで,すばらしいことです。
そして,「生きていく力」になります。
自らに力をつけるもとにもなり,夢や希望を実現するための第一歩につながります。
生涯をかけて長い期間,「忍耐して,努力しとおす」ことは,とても大切なことだと思います。
そのためには,いつもいつも「がんばる」ことを,ただ鼓舞するだけではなく,自分自身のことをいつもよく理解して,コントロールできるようにすることなのでしょう。
また,相手の立場に立つことも大切です。
相手の立場や心情を十分に理解して,コミュニケーションする心と余裕を持つことなのかもしれません。
「がんばって」と声をかけるとき,少し心の中に時間をおいてみたいと考えるこの頃です。(K・T)