教育研究所
No.245 都江堰の思い出(2008年08月20日)
2008年5月12日午後2時28分に発生した四川大地震(四川省アバ・チベット族,チアン族自治州ぶんせん県)は,中国地震局発表マグニチュードMs8.0(日本気象庁&アメリカ地震研究所ともMw7.9),直下型地震では世界最大級で,被災者数千万人,死者969,185人,行方不明者18,467人と未曾有の被害状況であった。
その1ヵ月後,平成20年5月14日午前8時43分に発生した岩手宮城内陸地震は,震度6強で,死者13人,行方不明者10人とこれも大きな被害をもたらした。
2つの地震の規模は異なるものの被災者のこうむった物心両面の痛手と悲しみに対して心からお見舞いを申し上げるとともに,一日も早い復興をお祈り申し上げる次第である。
地震や噴火は,人の生命,地域の人間関係,生活の基盤としての家屋,産業など就業・収入と生活,文化や伝統などに大きな影響を及ぼし,回復・復興には多くの労力心労,知恵と予算と時間がかかるのが常である。
それでも,人々は,生まれ育ち心と生活の拠り所である「故郷(ふるさと)」に戻り,復興させようとする。
この思いが,地域の文化・伝統,習慣を営々と気付いてきたのである。
新学習指導要領が求めているいくつかの中の一つである「地域の伝統や文化に関する教育の充実」について,もっと素朴な視点から見直し,本腰を入れていくべきことだと感じる昨今である。
ところで,四川大地震の被災地に「都江堰」が含まれているが,私は,1979年(昭和54年)3月28日に,旅行団「日中友好の翼」の一員として当地を訪れたことがある。
赤茶けた当時の旅行記を紐解くと,当日午前8時30分に現地に到着し,都江堰の3つの取水口である水量を調節する「魚嘴」,土砂を防ぐ「飛砂堰」,砂を取る「宝瓶口」,荒々しかった川「山民江(びんこう)」を治めるために灌漑施設を築いた李氷をまつってある仁王廟などを見学したとある。
成都の北西57kmの灌県にあり,素朴で,仁王廟の上から眺めた都江堰は雄大で素晴らしいものであった。
山民江にかけられた「索橋」を渡ると「魚嘴」を通るが,そこに書いてあった当たり前のことではあるが「水利是農業的命脈」(水利は農業の命脈である)という言葉が妙に印象に残っている。
旅行記の中に何枚かの写真が貼ってあった。
登校中の地域の小学生が14・5人の男の子達が集まって私達のことを指差しながら何やら話している光景が写っている。
体の大きさ,服装,顔つきから推測して10歳くらいであろうか。
私が小学生だった頃の生活状況を重ね合わせることができる。
あれから30年,あの子ども達は40歳前後に成長しているはずである。
家庭を持ち,家族がいるであろう。
この大地震で,大なり小なり何らかの被害を受けたに違いない。
無事を祈るとともに,もし被災していたとしても,乗り越えてもとの平安な生活に戻れるよう祈るばかりである。
願うことなら,あのやんちゃな子ども達の大人振りに会いたいものである。(H・K)