教育研究所
No.244 教師冥利-その2-(2008年08月06日)
「授業で勝負する」。言い古された言葉ではあるが,「まさにその通りである」とT先生は述懐する。
授業参観日。多数の保護者の視線が自分に集中しているのがよくわかる。
授業内容は,説明的文章の段落の構成を理解することをねらいとするものであった。
教材は論旨がはっきりしていて,段落の構成も分かりやすいものであった。
授業は順調に展開し,段落の構成を図式化してまとめようとした時である。
普段はおとなしいU子が,
「先生,『しかし』ということばの使い方がよく分かりません」
と挙手して質問をした。
U子に質問内容を確認し,「逆説」の接続詞について例文を取り上げ説明した。
他の生徒に確かめたら数人が理解できていなかった。
(T先生は焦った。授業終了まで残り2分。
段落構成のまとめは次の時間に学習することを約束して終わったのである。)
T先生は,「しかし」という接続詞の使い方について,U子を含めよく理解できていない生徒をその日の放課後,教室に集め時間をかけて指導した。
授業参観日における授業は失敗であった。
「予定の内容が終わらない」ことが何よりも残念であった。
参観した保護者はどのように受け止められたであろうか。
「あのような授業でいいのだろうか」,
「あのような授業で教科書は終わるのだろうか」
など,さまざまな感想をもたれたことだろう。
授業としては失敗であったかもしれないが,後日,U子が語ってくれた言葉でT先生は救われた。
「先生,あの時はありがとうございました。
私はあまり授業で質問したこともなかったけれど,勇気を出して聞いてみたんです。
授業を通してあんなに丁寧に教えてもらったのは初めてのことです。
今でも忘れていません。感謝しています」。
T先生は,救われただけでなく,多くのことを考えさせられもした。
「教師にとって授業とは何だろうか」,
「一人ひとりの生徒を生かす授業とはどんな授業なのだろうか」
など,授業について多くの思いが脳裏を去来した。(S・T)