教育研究所
No.238教師冥利-その1-(2008年04月16日)
教師をやってきて「よかった」という実感を「教師冥利」というのだろう。
T先生はクラス会に招かれた。
中学校卒業30年の節目を記念したその会は,出席率がよく39名中30名が集まり,会も盛り上がったとのことである。
会の中で30名の近況報告があり,そのうちの一人(IT関係の営業マン)が話したことを聞かせてくれた。
「自分は,営業マンとして多くの人に接している。
その日々の仕事の中で常に心の支えにしているものがある」
と言って,胸のポケットから一枚の黄ばんだ紙片を取り出し,皆に見せた。
「これは自分の宝物であり,いつも肌身離さず持ち歩いている」
「この紙は,T先生が30年前の卒業式の後,教室でクラスの一人一人に配ったものである」
「何が書かれているか覚えているだろうか」と問いかけた。
クラスメイトは,それぞれに
「覚えている?」
「何だっけ?」
「そんなことあった?」
と,言葉を交わしている。
T先生は,彼の手にある黄ばみ,折り目の破れかけた紙片を静かに見て,話に聞き入り,かつてに思いを馳せていた。
そこには
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
の十七文字をよく引用し,
「人間として謙虚であることの大切さ」
を説いた自分がいたのである。
「人は常に謙虚であれ」,
紙片にはそう書かれていたそうである。
T先生は,卒業式の後のクラスでの時間が,学級担任としての最後の時間であり,巣立ち行く生徒たちに様々な思いを語ってきたのである。
「そんな生徒もいたんだ。」と思いつつ,何かしら胸の内が熱くなってきたT先生は,
「教師をやってきてよかった」とつぶやいた。
「教師冥利と言うんだろうか」,別れ際のT先生の言葉であった。
教師の子どもたちに与える影響は計り知れない。
授業をはじめ多くの場面での教師の言動から,子どもはいろんなことを感じ,学び取っていくのである。
「教師の一言が子どもの生き方を決める」
という言葉を耳にすることもあるが,それは決して放言でもなければ妄言でもない
だからこそ不断の自己研鑽が求められるのであり,そこに教師としてのやりがいも生まれるのであろう。(S・T)