教育研究所
No.233向き合うこと(2008年02月01日)
ひとは向き合うとき,顔と顔,目と目が合う。
お互いの顔が同じ方向を見ているのではない。
お互いを見合い尊重しあうことが,向き合うということになる。
すこし前のことだが,同僚の若い教師から相談を受けた。
今度の日曜日に,好意を持っている女性教師とはじめてのデートの約束をしたという。
待ち合わせの喫茶店での座り方についての相談だった。
つまり,「隣り合わせ」がよいのか,「向かい合って」がよいのかというものだった。
私はそのとき,たいした意識もなく,「どちらでもいいじゃない」と応じてしまった。
しかし今,この「向き合い方」は,とても大切で重要な意味を持つのだという気がしている。
先日,著名な落語家夫婦の離婚会見をテレビで見ていたときのこと。
この元夫婦は,仕事の話だと,一晩中でも会話が続いたが,お互いのことの話となると途端に会話が途切れてしまったと語っていたのだ。
顔と顔が横に並び,二人の目は同じ方向を見て会話をしていたのだろうか。
仕事についての夢や希望,そしてそれに連なる諸々のことを語ったとき,同志のような連帯感をもち,話は厚みと喜びをもって進んでいったのだろう。
ただ,お互い自身の喜びや寂しさ,そして悩みは,お互いわかり合っているから大丈夫と大切な時間の中で置き去りにされたのかもしれない。
最近取りまとめられた中央教育審議会答申では,教師が子どもたちと「向き合う」時間の確保を求めている。
その実現のために,教職員定数の改善による教師数の確保,外部人材の活用,地域全体での学校の学校を支援する体制の構築,指導法の改善,教科書の工夫や充実,事務の外部化やICTの活用による教師の事務負担の軽減を求めている。
向きあう時間を大幅に増やすと同時に,「向き合う」ことについて,その意味を吟味し,意識的にやっていかなければ効果が薄くなる。
「子どもと向き合う」ことの第一歩は,子どもに関心を持つことである。
すべての子どもに,教師が関心を持つことである。
「愛する」の反対語は「憎む」ではなく,「無関心・関心を持たない」であるとよく言われる。
一人一人の子どもたちの持っている可能性,夢,力を伸ばすのは,まるごとの子ども一人一人に関心を寄せ,
「この子にはどんな働きかけをしようかな」
「あの子にはどんな問いかけしようかな」
「どんなことが元気づけになるかな」
「学級の中でどんな役割をするのがいいかな」
など,教師が,学級全体をマスとしてとらえられるだけでなく,一人一人の子どもに関心を持つことである。
学校は,教育の目標の実現のための戦略と戦術を持っている。
教師はその戦略と戦術の中で,子ども一人一人の顔が見えているかどうか,一人一人の伸びる手だてが具体的であるかということを考えなくてはいけない。
要は,すべての教師自身が,「向き合う」ということについて,教育活動の中で大切なこととして受け止め,深めていく心構えが重要であると思うのである。(K・T)