教育研究所
No.227いただきます・ごちそうさま(2007年10月26日)
私たちにとって食事の前に,「いただきます」と言ってから食べ始め,食べ終わったら「ごちそうさまでした」と箸を置くことは,まず常識と言ってよいと思います。
「料理をしてくれた人への感謝」
「食材を生産してくれた人への感謝」
「見えない所でかかわっている人への感謝」
「生きていて,こうして食事ができることへの感謝」
などなどが,「いただきます」に集約されているように思います。
でも,この頃の子どもたちの意識として,
「ただ,なんとなく」
「大人がしているから」
「言っているうちに習慣になった」
ということが多くなっているようです。
学校には,給食があります。
自然な姿で「いただきます」が言え,普通の声・大きな声で楽しく会話ができ,そして,ああよかった「ごちそうさま」としめくくることができる子どもを育てていきたいと願うところです。
ところで,アメリカには,このこのような習慣がないそうです(全米日本語教師会・サイラス・ロールビン先生)。
中国でも,日本の「いただきます」「ごちそうさま」に対応することばも習慣もないそうです(九州大学・方如偉先生)。
どうして,そうなのかは分かりませんが,ともかく,これが現実のようです。
だから,アメリカだけで生活していた子どもや中国の子どもが入学して来たら,「いただきます」「ごちそうさま」を言うことが常識の子どもと,そのようなことを言わなくても当たり前の子どもとが混在することになります。
こんな状況を考えると,私たちは,「それぞれが,異なることを認め合えること(異文化理解)」が大切になります。
しかし,どのような文化の違いがあったとしても,会話を楽しみながら食事をし,食事をしながら共にかかわり合うということは共通しています。
時代や教育環境がどんなに変わっても,この在り方を大切にするということが大事であり,学校教育においても,欠くことのできない原点の一つであると考えますが,皆さんはどう思いますか。(H・K)