教育研究所
No.226大事なこと(2007年10月10日)
教師を続けていた30数年間は,時間的に余裕なく過ごす日々が多かった。
時間の使い方も上手くはなかったと思う。
学校では,笑顔で生徒たちと向き合うことを心がけてきた。
しかし,家庭ではどうだっただろうか。
妻として,母として笑顔で家族と向き合ってきただろうか。
十分話を聞いたり,話をしたりできただろうか。
そう自問するとき,忸怩たる思いになる。
うまく切り替えができなかったり,疲れていたからというのは,いいわけに過ぎないような気がする。
時間をとらなくても安心と思いこんでいたような気がする。
40年近く一緒にいたのに,夫と笑顔で肝心な話しをきちんとしてきただろうかと気になって仕方がない。
そして,永遠に会えなくなってしまった今
「とにかくもう一度話したい」
「一度だけでいいから」
という湧き上がる思いを止めることができない。
整理をはじめた遺品の中から夫の書き残したものがたくさん見つかった。
かなりの数の大学ノートに記されている。
若い頃のものが多い。
日記などである。
科学研究の道に進みたいという将来の夢,自分のとるべき態度・生き方,人間の邪欲,自然の中の人間,時代の課題,社会の問題,周りの人との競争,あつれき,家族の課題,体力の問題等々書き記されていた。
昼間は,毎日の雑事に追われて過ごすことが多いが,夜になると,その大学ノートを広げ読んでいる。
「そんなふうに思っていたの」
「そんなふうに感じていたの」
と,涙を出したり,元気になったりしながら。
日常生活の中で,今までだったら,
「このことどう思う」
「こんな時どうする」
という質問に答えを出す人が,すぐそばにいたのに。
質問する相手がいないことに,本当に寂しさを感じる。
しかし,残されたものを何度も読みながら,これまで以上に,夫と「大事なこと」を話しているような気になっている。
そして,高揚した気持ちになったり,落ち着いた優しい気持ちになったりしている。
答えやヒントを与えられているように思っている。
会えなくなった今だからこそ,一方的かもしれないが,深く理解することも可能なのかもしれないと自分に言い聞かせている。(K・T)