教育研究所
No.225孫の未来を祈る(2007年09月26日)
始めに,短い話を3つ。
<その1>
8月15日敗戦の日に,数え年4歳のときのかすかな記憶が,よみがえった。
警戒警報のサイレンが鳴って,家族全員(祖父,父,母,姉4人,私,妹)で,牛小屋の前の斜面に掘り抜いた防空壕に避難した。
大雨の日だった。
防空壕の天井から大粒の滴がしたたり落ち,ずぶぬれのまま警報解除を待った。
このことは何故か,時を選ばず,ふと思い出す出すことがある。
また,焼け出された親戚の何家族かが,疎開してきて納屋などに住んでいた。
小さな子ども同士,楽しく遊んだ記憶もかすかに残っている。
今から思えば,平和を強く願う原体験になっていると思う。
<その2>
朝日新聞『声』(2007年8月20日)。
昭和20年8月5日の夜,B29の爆撃による猛火の中,逃げる途中の一家が,防火用水の水を浴びていると,4歳くらいの妹をつれた2年生ぐらいの男の子が「おじさん,僕たちにもお願いします」と声をかけてきたというのである。
水をかけてやると,「有難うございました」といって,逃げ惑う人ごみの中へ消えていったということである。
男性(おじさん)は,「無事だったろか」と,戦後をはるかに過ぎても時折述懐していたそうだ。
勿論,加害者として同じ状況を他国につくり出した過去のことを忘れてはいないのだが,私は,拭え切れないほどの涙が溢れ出てきた。
<その3>
数年前に妻と二人で,モンゴルへ旅行したことがある。
ウランバートルからエルデネットへ夜行寝台列車で移動することになった。
少し時間があるので,ウランバートルの駅前のレストランで食事をした。
海外青年協力隊の隊員としてモンゴル在住の友人と3人で食事をしていると,入り口から私たちをじっと見つめている5・6歳の男の子が目にとまった。
ストリートチルドレン(マンホールチルドレン)のことを聞いたことがあったので,友人に,
「この食べ物をあげてもいいの?」
ときくと,
「いいけれど,さりげなく残していけば,後片付けのついでということで食べて,食器を洗い場に運ぶことで,レストランから黙認されている」
ということだった。
男の子がジ――ッと,見つめているので,おいでと手招きしてパンを一切れあげた。
さっと食べるかと思っていたのに,その子はぴょこんとお辞儀をするとさっと戻って,入り口のところでしゃがんだ。
よく見ると,まだ3・4歳くらいの男の子が座り込んでいた。
その子にパンを食べさせていたのである。
弟(?)は夢中になって食べていた。
もう一度あげた。
また,弟のところにいて食べさせている。
さらにあげた。
今度は自分がおいしそうに食べていた。
こういう状況の中で,弟にまず食べさせようという「人の心」に教えられ,私は感動した。
帰国してから,ささやかであるが,海外の恵まれない子どもたちへの支援活動に協力を続けている。
我が家には,7歳,5歳,3歳,1歳の4人の孫がいる。
孫たちが生きていく未来が,平和で安心して暮らせる世の中,国際状況であり続けて欲しいと祈らずにはおられない。
そして,どのような中でも「きょうだい愛」「思いやり」が,行動で示せるようになって欲しいと思うこのごろである(現実の4人の孫たちは,連日揉め事を起こし,父親に怒鳴られている)。(H・K)