教育研究所
No.224変化しつつある学校-その9-(2007年09月12日)
教育基本法の改正に伴い,いわゆる教育三法も改められ,学校を取り巻く状況は,まさに教育改革のうねりの様相を呈しているともいえる。
こうした中で,過日訪問したある学校の校長から次のような話を聞いた。
「最近,教育改革の流れの一環として学校の説明責任が保護者や地域社会に浸透し,学校がどのような方針を掲げ,目標を達成するために何をしようとしているのか,結果はどうであったのかということに関心が高まってきた。
このこと自体は大変結構なことで,学校もそのための工夫と努力をしている。
一方で,以前に比して,理不尽な要求を持ち込む保護者が多くなっていることも事実であり,対応に苦慮している学校も少なからずあるのではなかろうか。」
昨今,巷では,「困った保護者にどう対応するか」などの類の書に,教師の関心が集まっているという。
「モンスターペアレンツ」という言葉も耳にする。
このことについての論評も多く目にするが,学校の説明責任との関連から考えてみてはどうだろうか。
というのは,先の校長が
「説明責任は重要だけれど,説明をすればそれで責任を果たしたということで形式的になっていないだろうか」,
「説明責任の中身を見直すことによって,対応に苦慮する保護者も減少するのではなかろうか」
ということもつけ加えたからである。
説明責任の実行の際には,説明の内容と方法,タイミング,説明する当事者の態度などに十分に配慮する必要がある。
これらのことによって説明を受ける側の理解や納得には大きな差異が生じ,結果として問題がこじれ,対応に苦しむケースが多いからである。
例えば,校長が説明すべきことを他の者が行ったり,一方的に説明するだけで済ませたり,教育専門用語を並べ立てて説明したりすることで事足りるとしている例などは少なからずあると思われる。
「学校で朝食を食べさせてほしい」などの要求は別として,学校経営,学習指導,生徒指導などにかかわる問題などは,上記の点を踏まえ,誠実に分かりやすく説明することによって納得が得られるものも少なくない。
説明責任の成否は,学校と家庭・教師と保護者との良好で円滑な関係と学校がどれだけ説明を受ける側の立場を思いやれるかにかかっている。(S・T)