教育研究所
No.210変化しつつある学校-その7-(2007年02月21日)
様々な教育論議が,盛んである。
国レベルでの「教育の再生」を旗印に,ゆとり教育の見直し,いじめ問題への対応のあり方,規範意識の確立,教員の指導力の確保など,論議の内容は枚挙にいとまがない。
それらが法制化されると,地方自治体は学校に対して具体的実施に遺漏のないようにと取り組み,それぞれの学校は創意工夫(?)を凝らし懸命に対応せざるを得ない状況になる。
こうした構図の中では,学校に身を置き,子どもの教育に日々努めている校長や教職員の本音はいかがなものであろうか。
例えば,学力の問題にしても,子どもにとって必要な学力とは何かについてじっくり時間をかけて学校としての議論を深めるゆとりもなく,次々に打ち出される「学力向上に関する施策」への対応に追われるというのが実情ではなかろうか。
学力の本質について十分な議論を深めることの必要性を痛感しつつも,それができないもどかしさを感じているのではなかろうか。
こうした各学校の対応は,ややもすると,事柄の本質から離れ,小手先だけのものになりがちである。
そうすると,「何を,どうするか」という方法論が先行し,いわゆるハウ・ツ-的な発想が求められ,もてはやされる。何のためにという目的が欠落してしまう。
改革は,スピードを求める。
しかし,どのような改革であれ,本質への深い洞察を失った改革は本物ではない。
子どもの成長を願い,子どもに日々接している者が教育の本質を語ることの意味は大きいと思う。
今,各学校,教師に求められるのは,大げさに言えば,確たる教育哲学の確立ではなかろうか。
教師は評論家であってはならない。
人づくりという重い役割と責任を担う教育の実践家である。
改革論議に振り回されることなく,自信と誇りをもって本質を踏まえた教育実践に努めて欲しいと,願わずにはいられない。