教育研究所
No.180変わりつつある学校-その3-(2005年11月09日)
今,学校は変わりつつある。
経営的発想に基づいた学校運営の推進,確かな学力を定着・維持・向上させるための授業改善,信頼される学校づくりのための多種多様な評価の充実など,従来とは視点を変えた取組が展開され,着実に歩んでいる多くの学校がある。
これらの学校の実践の根底には,「評価と公開」という基本理念があることはいうまでもない。
過日,ある学校の副校長(教頭)がこんなことを漏らしていた。
「確かに,学校は学力の向上,学校運営の改善などに取り組み,それなりに一定の効果をあげ,変わってきている実感はある。
しかし,どうもすっきりしないところがある。
例えば,学力テストの結果が公表されると,その結果に接する関係者(保護者や地域住民,学校関係者,教育委員会など)の中に,結果を序列化し,他の地区,他の学校と比較して自校は優れている,劣っているということに注目が集まる。
その結果,学力テストの点数をあげるにはどうしたらよいかということになる。
私たちは,子どもを競争に煽りテストに強い子どもを育てているのではないはずだ。」
この副校長のつぶやきは,今展開されている信頼される学校づくりへの取り組みの一方で,「速さ」や「量」を競うことへの警鐘でもある。
「私たち日本人が文明開化(近代化)の代償として失ったものを,時代とともに深めていった主因は何か。
私は教育における速度が大いに関係していると思う。
わずか12歳,わずか15歳,そしてたかが22歳前後での学力で輪切りをしながら人の値打ちを決めようとする性急な教育のしくみが必然的に求めてくる速度のことである。
こうした速い教育と対比して遅い学習とは何かを考えなければならない。」
ある機関誌に寄せられた某ニュースキャスターの言葉である。
教育は「人間を育てる」営みである。
着実な実践を重ね真摯に取り組んでいる学校を正しく評価していくことが今こそ必要なのではなかろうか。
子どもたちの人間としての成長のために授業を改善し,学校運営の在り方を見直している学校は,一方で浸透しつつある競争原理の本質を見極めることが極めて重要であろう。
人間は,「速さ」を求めすぎると足元の大事なことを失うのではなかろうか。
「量」を求めることにあくせくすると物事の本質を見失うのではなかろうか。