教育研究所
No.468「代行の思い出」(2015年9月30日)
少し古い話題で恐縮だが,8月13日A新聞の読者の声欄に、中学生の投書が掲載されていた。要旨は「宿題の代行を利用するのはおかしい。宿題は単に学力を向上させるためではない。自分で課題を決め、自分で計画し、それを責任を持ってやり遂げることなのだ。受験勉強で忙しく時間がないのだというが、キチンと計画を立てればできるはずだ」というようなものだった。
代行といえば、2つの思い出がある。1つは中学校の頃。数学の超苦手のM君の宿題を代行した。全部あっているとばれるので、正解は70%くらいに抑え、やさしい問題は完ぺきに、難しい問題は間違えておいた。月日がたち10年くらいが過ぎ、肉屋に勤めていた彼から、おいしい肉を貰った(たぶんその時のお礼だと思う)のを懐かしく思い出す。宿題の代行の元祖は私である。
もうひとつは、K市へ講演に行ったとき、顔見知りになった何人かの先生方に空港まで送っていただいた。時間があるからと、空港のレストランで、しこたま(私は乗り込み拒否されない程度に)飲んだ。「帰りはどうするの?」ときいたら、「代行!」ということだった。
いろいろな「代行」があるが、商売にするのはいかがなものか。私には、大きなことを言う資格はないのかもしれないが。中学生のしっかりした声に、日本の若者、捨てたものではないと、安心した。
しかし、孫にせがまれ、時に、「宿題代行」の個人事業まがいのことをしていることに、大きく反省し、これからは、「宿題くらい自分でしろ!」と言いたいとも思うこのころである。。(H・K)(2015年9月30日)