教育研究所
No.471「教師への尊敬」(2015年10月22日)
最近,「こんなに厳しい!世界の校則」(メディアファクトリー新書)を読んだ。その中で,教師に対する校則「教師を尊敬し,言うとおりにしなければならない(ケニア)」「先生が近くを通ったら,お辞儀,または胸に両手を合わせて(注:手のひらをぴったり合わせるのではなく,蓮の花を両手で包み込むように合わせる)尊敬の意を表する(タイ)」「先生の机を全員で取り囲んではならない(タイ)」「教師にあだ名をつけたり直接教師の名前を用いたりしない(ロシア)」が紹介されている。
本書では,これを珍しいと考えず,むしろもっときちんと求めるべきだとし「日本の校則でも教師への尊敬を堂々と求めてもらいたい」と,主張している。
でも,実際には,日本では,道徳科の指導内容に,
小学校
1・2学年「先生を敬愛し,学校の人々に親しんで,学級や学校の生活を楽しくすること」
3・4学年「先生や学校の人々を敬愛し,みんなで協力し合って楽しい学級や学校をつくること」
5・6学年「先生や学校の人々を敬愛し,みんなで協力し合ってよりよい学級や学校をつくるとともに,様々な集団の中での自分の役割を自覚して集団生活の充実に努めること」
中学校「先生や学校の人々を敬愛し,学級や学校の一員としての自覚をもち,協力し合ってよりよい校風を創るとともに,様々な集団に意義や集団の中での自分の役割と責任を自覚して集団生活の充実に努めること」と示され,義務教育9年間を一貫して指導することになっている。
と言うことは,日本の教師には,児童生徒の経営の対象になっていることを再認識し,それに値する「質の高い教育」を行うことが強く求められているということに他ならない。(K・H)
(2015年10月22日)