教育研究所
№566「温故知新」
今日こそ片付けようと,作業を始めるが,出てきた本,記念誌,雑誌,記録物,メモ等をついつい読み始めてしまう。そして,何かに,いつかは,役立つような気がして元に戻してしまい,太目老妻に「ご苦労様でした。きれいに並べ替えができましたね」と,褒められて(嫌味を言われて)いる。
今日も同じパターンで整理整頓をしていたところ,『児童心理1998年3月号』(金子書房)を見つけ,じっくり再読するはめになった。
特集は「困った親・困った教師」で,今でも通用するスグレモノである。「子どもをとりまく困った大人たち」「いま求められる親の役割」「教師はモデルになっているか」「子どものための自分か,自分のための子どもか」&「子どもの気持ちが分からない親・教師,大人になれない親・教師」「困った教師とは・困った親とは」&「困った教師にならないために」「困った親にならないために」と,大げさに言えば,「故きを温ねて新しきを知る」内容で,学ぶべきことがぎっしり詰め込まれていた。
ただし,「困っている親」「困っている教師」と,軸足を置き換えてみると,糾弾型・指摘型・非難型・批判型・評論家型・他罰型の視点を乗り越えて,「何に困っている親か?」「何に困っている教師か?」と言う発想で,その根源に迫り,支援や応援,指導や啓発の手立てが見えてくるかもしれないと思った。暇を持て余しているので,部屋の片づけは後回しにして考えてみようと思う。(H・K)
(2016年4月22日)