教育研究所
№573「『精子』の発見」
小学校5学年と中学校1学年の理科では,植物の花のつくりと受粉について観察し,生命の連続について学習します。この「植物の受粉と受精」に関して,明治時代の終わり頃に東京大学理学部の二人の日本人の研究者が,ノーベル賞クラスの大発見をしました。発見者の一人は平瀬作五郎(1856~1925年)であり,イチョウにもコケやシダ植物のような「精子」があることを発見しました。もう一人は池野成一郎(1866~1943年)であり,イチョウと同じ原始的な裸子植物であるソテツにも「精子」があることを発見しました。研究し発見した場所は,両者とも東京都文京区にある通称「小石川植物園」と言われる「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」においてです。この稿では,イチョウの精子発見の経緯について,詳しく見てみたいと思います。
植物にも「精子」はあるの?と,疑問を持たれる方が多いと思います。「精子」と言えば動物ではよく知られていますが,植物の中にも「精子」を持っているものがあります。地球上に早期(4~3億年前)に出現した原始的な植物の一つであるコケ類やシダ類が「精子」を持っています。雄の性質をもった「精子」は泳ぐためのべん毛を持っていて,液体の中を泳いで卵に到達して合体し子孫を作ります。
欧州で17世紀に起きた近代的な植物学は,19世紀の終わり頃には,コケ類やシダ類より後から出現した裸子植物や被子植物のような花が咲き種子を形成する植物には,もう「精子」はないと考えていました。新しい裸子植物や被子植物では,花粉が雌しべの頭に付くと「花粉管を伸長させて」雄の細胞を卵に届けて受精し子孫を作ると考え,このことは欧州の多くの研究者の間では,いわば常識になっていました。ところが,この常識に疑いを持つ研究者がドイツに現れました。ホフマイスタ―(1824~1877年)は,イチョウの生殖器官の研究から「もしかしたら裸子植物にも精子による受精があるのではないか?」という仮説を発表しました。
平瀬作五郎は,明治20年代当時小石川植物園にあった東京大学理学部の助手として研究に参加していましたが,先輩や同僚から「イチョウの受精過程と精子」に関する研究課題を研究するよう勧められました。
イチョウは4~5月頃に雌雄別々の木に雌花(がくや花弁はなくギンナンの赤ちゃんのみがある)と雄花(同じく花粉を作る袋のみがある)が開花し,ギンナンの赤ちゃん(胚珠)は風により雄花の花粉を受け取り,胚珠の上に付いている液体で花粉を付着させ,小さな穴から花粉室に入れます。花粉室に入った花粉は,4~5か月の間に栄養をもらって精子に成長します。9月上~中旬頃,精子は周りに満たされている液体の中をべん毛を使って泳いでギンナンの赤ちゃん(胚珠)の中の卵に到達して受精し,ギンナン(種子)を作ります。精子を発見するためには,9月のどの日かに受精するギンナンを採取して薄く切り,顕微鏡で泳ぐ精子を探さなければなりません。
作五郎は毎年9月に入ると小石川植物園の中央付近にある樹齢200年位の雌の大イチョウの上にやぐらを組み,その上で昼夜にわたって受精中の小さなギンナンを観察したり採取したりしました。バケツ何杯ものギンナンを研究室に持ち込み,薄く切ってプレパラート(薄く切ったギンナンをガラス板に挟んだもの)を作り顕微鏡で観察し,花粉室の花粉が成長して精子になる過程や動く精子を見つける努力を重ねました。そして,ついに4年後の1986年(明治29年)1月,顕微鏡で昨年9月に作成したギンナンのプレパラートを観察中に,視界を横切るべん毛を持った小さな虫を発見しました。イチョウの精子を発見したのです。同室にいた池野成一郎もすぐ顕微鏡を見て,精子であることを確認しました。さらに4か月後の9月9日に,生のギンナンの精子を観察することに成功し,作五郎は論文に「精虫(精子)ガ花粉管ノ一端ヨリ飛ビ出シ胚珠心ノ内面ニ溜レル液汁内ヲ自転シナガラ頗ル迅速ニ游進セル様ヲ目撃スルコトヲ得タリ」と記述しています。
論文による発表は1896年(明治29年)10月の「植物研究雑誌」で行われ,日本国内はもちろんのこと欧州においても青天の霹靂(へきれき)として,驚きと半信半疑と尊敬を持って迎えられました。欧州の学会にとっては,世界の一番東のはずれの近代的な学問が開始されたばかりの日本の研究者の大発見は,なかなか信じ難いことだったでしょう。同じ年に池野成一郎がソテツの「精子」を発見し,さらに世界を驚かすことになりました。
地道な仕事であっても,一つの課題(疑問)を粘り強く研究することの大切さを教えてくれます。
最後に余談ですが,池野成一郎の平瀬作五郎への研究の援助や論文のフランス語・英文訳などの手助け等の友情は,100数十年たった現在も敬意をもって語られています。
(Y・H)
(2016年5月26日)