教育研究所
№808「古池や......」
正岡子規は,根岸の里(今の台東区根岸,JR鶯谷近く)の子規庵で明治35年(1902年)9月19日午前1時頃黄泉の国へ旅立った。俳句をたしなむことはないが,近くに勤務していたことや松山に足を運んだこともあって,正岡子規に関心を持ち続けている。偶然にも,その100年後に当たる2002年8月に購入した「子規人生論集」(講談社文芸文庫2001年)が本棚の奥から出てきた。といっても,様々な所に投稿した短文や著書(抄)を1冊にまとめたものである。暇を持て余しているので,じっくり読むことができた。
その中で,いろいろ面白いことを改めて知った。その1は,「古池や蛙飛びこむ水の音」の本当の意味「ただ池の閑静なる処を閑の字も静もなくして現したるまで也」だということを,知る人は少ないという。
その2は,「病牀六尺(抄)」で,「病牀六尺,これが我世界である」といい,土佐の西端にある柏島の水産補習学校の生徒が,缶詰を作ったり網を編んだりした賃銀をためて修学旅行の費用にしていることを取り上げ,涙が出るほど感激したそうである。その3は,「僕ハモーダメニナッテシマッタ。毎日訳もなく号泣シテ居るヨウナ次第ダ,ソレダカラ新聞雑誌ヘモ少シモ書カヌ。...」と,ロンドンの夏目金之助(漱石)宛に,最後の手紙をしたためている。明治34年,旅立つ1年前のことである。その4は,母親と子規の看病に努めた妹の律さんが,河東碧梧桐との対談で語った「家庭より観たる子規」は,子規の人間模様が伝わってきて感激した。まだまだあるが,これくらいで...。(H・K)
(2018年3月19日)