教育研究所
№819「今は,貴重な新聞紙?」
毎朝のバスや電車の中の風景は,新聞(一般紙,スポーツ紙),週刊誌(固いもの,柔らかいもの,きわどいもの),本(一般書籍,マンガ,文庫)を読む人か,おしゃべりをする人がほとんどだった。昭和時代には。
ところが,平成になって,ガラ携そしてスマホと大きな変化が出てきて,バスや電車の中は手元を見つめながら器用に操作する風景になってしまった。おしゃべりをする人も高齢者に限られつつある。おしゃべりに興ずる中高生などの珍しくなった。
でも,通勤で使う西武バスの中で,毎日,NK新聞を隅から隅まで読んでいる男性がいる。不思議と帰りのバスで一緒になることが少なくない。その時も,朝の新聞を丁寧に読んでいる。この男性の姿を見かけると何となくほっとする。なぜかは分からないが。
さて,冒頭で「今は,貴重な新聞紙!」と書いたが,それはこういうことである。ある朝,小学生の孫が,新聞紙をけっこうたくさん持って「いってきま~~す!」と出かけて言った。「そんなに新聞紙をどうするの?」「今日は習字があるんだよ。新聞紙を下敷きにして習字をするのさ。新聞を取っていない友達に分けてあげるんだよ」ということだった。情報源としての新聞紙の役割,物を包む,下敷きにする,靴の湿気取りに使うなど,新聞の役割も縮小しつつあるのだろうか。(H・K)
(2018年4月5日)