教育研究所
№846「菊と子ども」
最近、ひょんなことから江戸時代の子育てについて書いた、細井平州著「嚶鳴館遺草」を覗く機会がありました。巻の五に、「惣て人は取育て申心持は、菊好きの菊を作り候様には致間敷儀にて、百姓の菜大根を作り候様に可致事に御座候。...」とありました。
意味(意訳)は、おおよそ「菊好きの人は、花が見事にそろっているように咲かせたいので、余分と思う枝を切り取ったり、たくさんあるつぼみを摘み取って花の数を調整したり、あまり背丈が伸びないように加減したりして、自分の思い通りにして育てます。その結果、秋には見事な菊の大輪が咲きます。それに対して、農家の人の野菜や大根の育て方は、全ての株を大事にして、大きいのも、小さいのも、不揃いであってもそれぞれを大事に育てて、みな美味しく食べられるようにします。」ということだと思います。
含蓄のある言葉で、子育てを終えて親として反省するとともに、教師としての16年間を振り返えり, 教え子たちに申し訳なかったと不十分さを詫びました。そして、孫くらいはと思いつつ甘やかしてこれもどうもうまくないと迷っている次第です。
教育に係る人は誰でも異口同音に、「子どもの個性や能力に応じた教育をして、その子らしく伸ばしたい」と言います。全くその通りなのですが、それが「菊育て」にならないように心したいものです。 (K・H)
(2018年5月31日)