教育研究所
№943「正岡子規の道徳論?」
ふとしたことがら「子規人生論集」(講談社文芸文庫2001年)を拾い読みをしていたら,「筆まかせ(抄)」の中に,明治22年に執筆した「道徳の標準」を見つけた。
「道徳の標準なければ人間は一日も世に処すること出来ぬ道理也 何となれば一言一行,皆道徳に関する者なれば也」といいながら,在学する高等中学校で道徳会を起こそうとする動きに対しては,反対している。
下級生だった夏目漱石の意見「余は今,道徳の標準なる者を有せず,ゆえに事物について善悪を定むること能わず,しかるに今道徳会を立て矯正せんというのは果たして何を標準として是非を知るや 余が今日の挙動は其瞬間の感情によりて起こる者なり 挙動の善悪も其瞬間の感情によりて定むる者なり されば昨日の標準は今日の標準にあらず」を引いて,その理由を代弁させている。
そして,「余は道徳の(絶対的な)標準を見いだすまでは,到底総てに疑を存ぜざるを得ず,併し余は進んで其標準を発見せんと企つる者なり...」と付け加えている。
道徳科の目標は,「第1章総則の第1の2の(2)に示す道徳教育の目標(教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間としての生き方を考え,主体的な判断の下に行動し,自立した者としてよりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とすること)に基づき,よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため,道徳的諸価値についての理解を基に,事故を見つけ,物事を広い視野から多面的・多角的考え,人間としての生き方についての考えを深める学習を通して,道徳的な判断力,信条,実践意欲と態度を育てる」である。
正岡子規(常規つねのり)や夏目漱石(金之助きんのすけ)が,この道徳科の目標を目にしたらどのように受け止めるか興味のあることである。(H&M)
(2019年2月14日)