教育研究所
No.553「わがふるさと三宅島」
BS1で朝の7時半ごろ,投書のあった人のゆかりの場所を日野正平が自転車に乗って,紹介する番組がある。投書者に感情移入して,思い出の手紙の朗読を聞きながら懐かしの風景を重ねて見るのが好きで,家にいるときは楽しく視聴している。
3月30日の放送は,浅沼よう子さんの思い出と三宅島の下根﨑(あこんざき:神着の椎取神社の近くで,磯釣りのポイント)の風景だった。三宅島,浅沼と言うことだけで,神着だ,もしかしたらあの子かなと何人かの顔が浮かんだ。今は3000人くらいだが,その当時は7000人近くの人口があり,小さな島なのに5つも小学校があった。神着小学校は全校200人くらいで,昔社会党の委員長だった浅沼稲次郎さんの妹の旦那さんの能美先生が校長先生だった。浅沼という姓が溢れていて,1学級30人前後なのに,男女とも数人は浅沼姓で,出席簿の前の方を独占していた。だから,子ども達は,姓ではなく,名前で呼び合ったものである。
手紙の思い出の中に,磯遊びに行って,持って行ったトマトやキュウリを潮だまりの池の中に浮かべておき,腹が減るとむしゃむしゃと食べたことが紹介されていて,同じ体験をしたので懐かしく思い出した。男の子は,マッチを持っていき,とった貝や釣った魚を,たき火で焼いて食べたものである。
小さな島であるが,私には大きな存在の何物にも代えがたい島である。幼馴染の加藤公平君ががんばっている。年賀状だけの付き合いになってしまっているが,会いたい!(K・H)
(2016.4.4)