デジタル時代の学び~「1人1台端末」で「一人一人が主語」の学習へ~
東京学芸大学教授
東京学芸大学教育学部・教授 博士(工学)。総合教育科学系教育学講座学校教育学分野に所属。独立行政法人教職員支援機構客員フェロー(2020年~)。教育工学、教育方法学、教育の情報化に関する研究に従事。中央教育審議会臨時委員(初等中等教育分科会)(2019年~)、文部科学省「教育データの利活用に関する有識者会議」委員(2020年〜)、「ICT活用教育アドバイザー」(2020年〜)、「GIGAスクール構想の下での校務の情報化の在り方に関する専門家会議」座長代理(2021年~)等を歴任。
〈教育情報誌 学びのチカラ e-na!! vol.3 2022年9月号より〉
「子ども一人一人が主語」をスタートに
令和3年1月の中央教育審議会答申『「令和の日本型学校教育」の構築を目指して』では、「個別最適な学び」と「協働的な学び」が着目されています。加えて、いっそう大きな概念として、「一人一人の子供を主語にする学校教育」とも記載されています。「一人一人の子供を主語にする」とは、やや使い古された言葉ですから、当たり前のこととして通り過ぎてしまうかもしれません。しかし今こそ、この言葉をスタートに、現行の学習指導要領に基づいて、個別最適な学びや協働的な学びを実現していくことが大切なのだと思います。
子ども一人一人を把握するための1人1台端末の活用
1人1台端末の活用では、「国語や社会の成績を上げるためにどう活用するか」などと考えがちです。あるいは、「どうやって個別最適な学びや協働的な学びを実現しようか」と考えてしまいます。しかし、子ども一人一人を主語と考えるならば、まずは子ども一人一人の様子を把握したいと考えることでしょう。授業をどのように工夫するにせよ、まずは子どもたちの興味や考えなどの実態把握が欠かせません。
例えば体育の跳び箱であれば、教師は一見して子どもの「できている」「できていない」様子がわかりやすく、だからこそ段数を変えた跳び箱を用意して、それぞれに練習させることができます。しかし、国語や社会などはそもそも、子ども一人一人が何を考えているか、どのくらい学びが進んでいるのか、わかりにくいものです。従来から、指名して発言させたり、ワークシートに書かせたりしてきましたが、体育ほど一見してリアルタイムに実態を把握できない問題がありました。結果として「教師は伝えた=子どもはわかった」と思いがちになり、ついつい単線型の授業展開、つまりは一斉指導に頼ってしまうのです。
この問題の解消のために、1人1台端末を使って、授業中に子どもの実態把握を試みてはどうでしょうか。特に共同編集機能の活用がオススメです。授業中思いついた意見や考えなどを、子どもに手を挙げさせるかわりに、端末で入力させていくのです。共同編集機能を上手に使えば、教師が全ての子どもの様子を把握できるだけではなく、子ども同士もたちまちお互いの様子を把握できます。
教師のほうで子ども一人一人が把握できれば、徐々に一人一人に合わせた指導を行いたくなります。こうした繰り返しが、結果として個別最適な学びにつながっていくでしょう。
各自コメントを入れていくと、今の様子が把握できる
子ども一人一人が協働するための1人1台端末の活用
「子ども一人一人が主語」を考えていくと、やがて協働のカタチの見直しへと発展します。
例えば、従来の理科の実験では、班で一つの実験道具を使い、協働で行ってきました。しかし、子ども一人一人が課題をもち、それぞれが実験を行い、実験結果を持ち寄って議論するような学びこそ、子ども一人一人を主語にした個別的かつ協働的な学びの理想形といえるでしょう。もちろん、実験の一部で子ども同士が助け合うことはあるにしても、実験の全てを協働で行うことは、本質的な意味で協働的な学びではなかったのではないか、と改めて感じます。豆電球や乾電池など、安価で揃えやすい実験道具は、これまでも子ども一人1セットが多かったことを考えると、費用の問題などで実験道具を共同で使わざるを得ない場面を「協働」として納得させていたのかもしれません。
1人1台端末の活用も、この従来的な協働の考え方に惑わされているケースが散見されます。例えば、デジタル付箋ソフトで、1枚の共同編集シートに複数人で付箋を貼りつけていく、協働で編集するといった例です。一見、協働的にみえますが、他の子に付箋を勝手に動かされたり、削除されたりして、かえって自分の考えがまとめにくくなるケースがあります。この場合、一人1シートを準備し、一人一人の領域を区切るべきでしょう。一人一人で別のシートに整理していても、共同編集機能を使えば、お互いの考えはいつでも参照できます。そこから協働的な学びは起こります。
このような学習の進め方に、違和感をもつ先生はいらっしゃるかもしれません。しかし、改めて考えてみれば、図画工作や美術で、1枚の画用紙にみんなで描いたりはしません。一人1枚の画用紙があり、それぞれが絵を描き、交流していく。それでも決して同じ絵にはならないし、お互いが高め合っていることはよくわかるはずです。
一人1シートで進め、他の子のシートを参考にしている
一人1シートによって、子どもは課題を自分ごととして捉え、いっそう取り組みやすくなります。場合によっては、課題が難しすぎて一人ではできないこともあるでしょう。その場合は、共同編集機能で他の子の記述を参考にさせます。それでも難しければ、最初は書き写させてもよいのです。その結果、まず自分は「何がわからないのか」が、わかるようになります。それがわかると、他の子に直接聞きに行ったり、先生に質問したりできるようになります。
協働的な学びの目的というと、「従来の学習以上の成果をあげるため」と考えがちです。もちろんそれは最終的に目ざすとしても、このように「わかる」「できる」の手前を支援するための協働的な学びもあります。表向きの「協働」や「共同編集機能」といった用語に惑わされずに、「子ども一人一人が主語」という本質から、1人1台端末の活用を身近な協働の場面にあてはめていくことが大事だと思います。
ハウツー的発想から脱却し、大きな考え方から発想する
効果的なICTツールの活用法や、端末を使うと効果的な授業場面といったことをもっと知りたい方も多いと思います。しかし、本連載をそうしたハウツーから書かない理由があります。
一つは、ハウツーで書ける指導法が対象とする主な学力領域は、個別の知識・技能といった「答えが一つに定まるもの」だからです。答えが一つの領域はコンピュータが最も得意とするところで、今や教師不要のAIドリルや動画等による学習に置き換わろうとしています。今後、学校でのICT活用については、穴埋めのワークシートを共同編集するといった従来の授業の延長的なものではなく、根本的な見直しを迫られることが予想されます。
もう一つは、思考力、判断力、表現力等といった高次な資質・能力の育成にこれまで以上に取り組む必要があるということです。これらの指導法は残念ながらハウツーでは書けません。理論を学び、「子ども一人一人が主語」といった大きな考え方から、おのおのの教師の信念に基づいて、自分なりに具体的な解釈を繰り返していくことが必要です。
例えば、授業のふり返りでは、子ども一人一人がそれぞれ記述するのが一般的でしょう。「学習の最後は個に戻す」ともいわれます。こうした従来から伝わるハウツーも、「子ども一人一人が主語」という考え方で、説明可能です。ハウツーとして伝わっていることも、大きな考え方と結びつけて、自分自身で腹落ちしたうえで使っているのかが重要です。
本稿でお示ししたのは、こうした取り組み・考え方への第一歩です。遠回りのようですが、こうしたことが1人1台端末の有効な活用につながり、変化が激しく未知な状況が次々生まれる時代に、上手に対応していく方法だと思います。
(写真:愛知県春日井市立高森台中学校)