ダミーM202
すやまたけし
自動車が,猛スピードで走っている。運転席にいるのは父親で,そのとなりには母親,うしろの座席に男の子と女の子が乗っている。一家,四人の楽しいドライブだ。
その自動車の進行方向に,厚いコンクリートの壁がある。しかし,自動車は速度も落とさず,ハンドルも切らないで直進していく。大きなコンクリートの壁がせまってくる。
そして,激突した。自動車は,ものすごい勢いで破壊した。ボンネットはつぶれ,フロント・グラスはくだけて飛び散った。そして,乗っていた四人も......。
「衝突速度,時速60・04キロメートルです」と,おちついた口調で,技師が計器の数値を読みあげる。他の技師が、記録計を調べながら,やはり冷静に言った。
「それぞれの,衝撃荷重,加速度の計測データもオーケーです」
自動車研究所の計測室には,自動車からの測定データが,刻々と送られてくる。記録計やコンピュータはそれらを忠実に,正確に,記録していく。そして,今,自動車は予定どおりコンクリートの壁にぶつかり,衝突実験は無事に終了した。
無惨につぶれた自動車のところへ,人々が集まってくる。ある者は,口をあけたボンネットの中をのぞきこみ,ある者はタイヤを調べ,また,ある者は座席に坐っていたダミーの人形を引きずり出す。四体のダミーはそれぞれ,成人男性,成人女性,男の子供,女の子供の平均的な身長と体重を持っている。身体のあちこちに,衝撃荷重,加速度,損傷程度などを測定するための機器や電気コードがはりめぐらされている。
頭にM202と書かれた,一番損傷のひどい,成人男性のダミーが,二人がかりで運搬者に積みこまれる。
「やあ,これ,ずいぶん痛んできたな」
「ああ,傷だらけだ。もう,何回もぶつけたから......,あと,数回,実験に使用したらスクラップいきですね」
寒々とした倉庫に,四体のダミーを乗せた運搬車が入ってくる。その倉庫には何十体ものダミーがベンチに腰かけてならんでいる。四体のダミーは,運搬車からそれぞれの座席に戻された。そして,仕事を終わった二人の男は運搬車とともに,その倉庫を出ていった。
照明が消え,ふたたびうす暗くなったひとけのない倉庫の中は,沈黙と,冷ややかさによって支配された。何十体ものダミーの黒い影が,無表情にじっと凍りついたように坐っている。耳をすますと,声にならないつぶやきが聞こえてくる。さっき,衝突実験を終わったダミーM202のつぶやきだ。
「ああ,今日もひどい実験だった。胸をハンドルにぶつけ,フロント・グラスに頭からつっこんだ。もう,身体は傷だらけで,ボロボロだ。あと数回で,私はスクラップになるそうだ」
少し離れたところに坐っている,成人女性型のダミーW237が話はじめる。
「まったく,今日の衝突実験も悲惨なものだったわ。うしろの座席に乗っていた子供たちは大丈夫だったかしら」
男の子型のダミーB105が言う。
「とても,こわかったよ。ぼくは,まだ,二回目なんだ。あんなにすごいスピードでぶつかるんだもの」
女の子型のG142が,悲しそうな声で言った。
「私も,ひどく顔をぶつけたわ。もう,いやだわ。この顔に傷をつけたくないの」
M202が言った。
「私たち四人は,今日はとてもいいチームだった。みんな勇敢に自分の役割をはたした。男の子も,女の子もえらかった。私たちは,臆病風にふかれて,へまをするのが一番はずかしいことだ。その点,今日はいい仕事をしたと思っている。しかし,本当にこれでいいのだろうか。疑問がないわけではない」
「そうよね,私たちはただの人形だけれど,ちょっと人間たちの扱い方も問題だわ。最後はスクラップにされて,おはらい箱なんだから」
別のダミーが,ため息をついて言った。
「しかたがないさ。私たちはそれが宿命なんだから。与えられた仕事を,ちゃんとやりとげられれば満足さ。あとは野となれ,山となれ,スクラップになれさ。ダミー魂を見せてやるよ。人間たちの役にもたつしね」
「でもね。ここの他にも,私たちの知らない世界があると思うんだ。ぶつかるだけが人生じゃない。なにしろ,私はあと数回の命なんだ」と,M202が,残念そうに言った。
その日の朝,スポーツ・ショップの主人は,いつものように店のシャッターを開けるために,表通りにまわった。そして,となりの店との間の空間に,うす汚れた大きな人形が落ちているのを見つけた。
「だれが,こんなところに,こんなものを捨てたんだ」
主人は,そのうずくまった人形を引っぱり出した。頭には,M202と書いてある。
「ふうーっ。いやに重たい。おや,あちこち傷ついているが,なかなか精巧じゃないか。関節も,ちゃんと動くようになっている。うーむ,これはうちのマネキンとして使えるかもしれないな」
スポーツ・ショップのショー・ウィンドーに,M202が立っている。テニス・ウェアを着て,ソックスとテニス・シューズをはき,右手には新型のテニス・ラケットをにぎっている。主人はそのたくましい姿を見て,やはり思ったとおりだ,と満足した。
M202のとなりでは,スタイルのいい女性のマネキンが,ゴルフをしている。その横には,野球の恰好をした男性のマネキンと,スキー・ウェアを着た男女のマネキンが,それぞれのポーズをとっている。
夜になって,シャッターがしめられ,店の主人は明かりを消して,帰っていった。
M202が,小さくつぶやく。
「ああ,こんなにつまらない仕事はない。ここにきて,一週間近くになるが,立ちつづけるだけで,通りの人たちや客からは,じろじろ見られるし,こんな軟弱な恰好をさせられて,みっともないったらありゃしない」
「なにをあなたは,毎晩,ぼやいているの。私はこのお仕事,好きよ。きれいな服を着られるし,人より早く新しいファッションをいつも身につけられるもの」
「しんまいさん,きみは何が不満なんだ。今まで,どんな立派な仕事をやってきたか知らないが,ここにはここの流儀があるんだ」
「そうかもしれない。ただ,私がこの世界に適さないだけなのだろう。私は一度,自分の知らない世界を見てみたかった。それで,自動車研究所を抜けだしてきた。しかし,ここは私のいる場所じゃないことがわかった。やはり,私はダミー魂を持って,衝突実験に一生をかけるのが性にあっているようだ」
「そう,残念だわ。私は,あなたのこと,気にいっているのに」
衝突実験のために,ダミーを運びにきた二人の男は,倉庫の中のダミー群の中に一体だけ変わったものを見つけた。
「これ,見て。テニス・ウェアを着ている」
「また,誰かが,いたずらをしたんでしょう」
「このM202のダミー,ちょうどいいや。今日の実験は,真っ赤なスポーツカーの,時速百二十キロの衝突実験だから」
(『火星の砂時計』株式会社サンリオ1988年現在は絶版)