特別書き下ろしエッセイ「完全でないもの」
Kさん,この前,不思議な映画を見ました。北野武監督の「Dolls(ドールズ)」 という映画です。なぜか,私はこの映画を見て,これは不完全なものたちの映画だなと思いました。それで,思いついたことを気ままに書いてみることにします。
なぜ,不完全なものたちの映画だと思ったかというと,登場する人物に障害者が多いことと,他の健常者も,何かを失い,どこかが欠けているように見えるからです。まともで健康な人間はひとりも出てきません。
自殺未遂による後遺症で心を病んでいるヒロイン,交通事故で左目に障害を負い,引退した元アイドル歌手,その彼女のために自分で両目を傷つけ全盲となった青年,手足が不自由で電動車椅子をあごで操作する障害者と連れの知的障害の若者,以上は,一見して,健常者でないとわかる人たちですが,健康に見える人間たちも,どこか不完全で危ういのです。
毎週,昔の恋人と約束した土曜日に,ベンチでお弁当を用意し,何十年も彼を待ちつづける女性は亡霊のようだし,事故に遭う前のアイドル歌手も,芸能界で虚像を振りまき,スケジュールに追われ,自分をなくしているように見えます。歌手の追っかけをしているファンたちも,屈折した現実逃避の群像のようです。
両親と出世のために恋人を捨て,社長の娘と結婚式を挙げようとする主人公の青年は,前の恋人が自殺未遂でおかしくなったことを知り,結婚式を放りだし,彼女とふたりで放浪の旅に出る。
年老いたやくざは病気がちで,長年の兄弟分に裏切られたり,虚しさを覚えながら,昔の恋人との約束を思い出し,土曜日のベンチに通うようになる。
健康に見える人たちも,破滅への道を転げ落ちていくかのようです。
以前,Kさんは,「人間はみな障害者,心身共に完全なものなどいない」と言っていましたね。
確かにそうです。肉体的に健康なものたちも,心に傷やコンプレックスを持ち,挫折し,何かが欠けていたりします。完全な人間など,ひとりもいません。男と女も,元はひとつだったものが切り離され,それぞれが,失った半分を求めてさまよっている,という考え方がありますね。
人間は健常者であっても障害者であっても,運命に翻弄され,愚かにも哀しく,滑稽と悲惨の人生芝居を演じさせられていると書くと,あまりにも厭世主義に過ぎるでしょうか。
ただ,この映画の中で,ホーキング青山という電動車椅子の障害者俳優が演じる人物が,なぜか人間的で,自由に見えたのは逆説的でありました。
他の登場人物たちは,何かつらそうで,不安と悩みを抱えているのに,彼だけが,喜怒哀楽をあらわにした生身の人間で,自由に生を謳歌しているように見えるから不思議です。努力,根性一筋の優等生ではなく,ちょっと胡散臭く,勝手気ままだから,そこに楽天性を見つけて,ほっとするのかもしれませんね。
アメリカには,「スタント・アビリティー」という障害者俳優の団体があるそうです。障害者が,自分の障害という個性を,映画で必要な役に提供する。例えば,スピルバーグ監督の映画「A.I.」では,片腕のない障害者が片腕のないロボットを演じています。身体障害という見た目の個性を,背が高い,太っている,髪が長いなどと同様の特徴と考えれば,片腕のない役には,片腕がないという個性は適役であるわけです。本人の意志で出る分には,とても,前向きな考え方だと思います。
そういう意味で,ホーキング青山も,自分の特徴を生かした演技,又は,自分のありのままの姿で出ることによって,演技以上の存在感を示すことができたと言えるのではないでしょうか。
障害者は,平均的で画一,常識が蔓延した日常の世界に異化作用を起こさせ,普通の人々に,ふと疑問や刺激を感じさせることができるのだと思います。
障害を受け入れ,ありのままを肯定し,その障害である故の個性,特徴を積極的に生かす姿勢は,楽観主義を誘います。それに気づいた障害者は,もっと自由に人生を楽しめるようになるのではないでしょうか。
私も,四肢麻痺で電動車椅子の身体障害者であるために,映画を障害者割引の一,〇〇〇円で見られます。
これは,あまりにも消極的な,障害の肯定ですね。それならば,私もホーキング青山のように,表現者として,笑いをとれる芸人をめざしましょうか。
それが才能的に無理であっても,私が電動車椅子で街を歩くことによって,普通の人たちに何か精神的な刺激を与えることは可能かもしれません。
しかし,障害者が社会の中で珍しがられているようでは淋しいですね。いつか,街の中で障害者を見るのが当たり前になり,障害も多様な個性のひとつに過ぎなくなる日がくることを願っています。
長い手紙になりましたが,最後に質問をさせてください。
Kさんは,いつも元気で健康そうに見えますが,もちろん,完全ではありえないと思います。Kさんも,自分の中に,完全でない,どこか欠けている部分があると思うことはありませんか。
[おわり]
2002.11.28