言葉のてびき
教育出版株式会社 編集局
Q5
「一所懸命」か「一生懸命」か
語源的には「一所懸命」が正しく,「一所懸命の地(領地)」という形で,主に中世,武士間で用いられた語である。『日本国語大辞典』によれば,その意は,「一所の領地で,死活にかかわるほど重視した土地。」のこと,「元来は,自分の名字の由来する土地(本拠地)をさしたが,のちには恩給地も含め,自分の所領地全部をいうこともあった。」とある。
したがって「一所懸命」は,「一か所の所領を,命にかけて生活の頼みとすること。」で,それが転じて「生死をかけるような,さし迫った事態。」,さらには「命がけのこと。」を意味するようになったのである。それがなぜ「一生懸命」になったのか,ということだが,「一所懸命」が本来の語義を離れて「命がけのこと」を意味する言葉として広く用いられるようになってから,「一生懸命」と字を変えるにいたった。つまり,「いっしょ」を「いっしょう」と長音化し,「一生をかける」に語の由来があると考える語源俗解が,表記の変化の要因であろうといわれている。江戸時代の浄瑠璃などに「一生懸命」の用例が多く見られるのは,このことを傍証しているといえよう。
さて,それでは,現在採るべき表記法はどうであろうか。最近の辞典類を見ると,『岩波国語辞典』(岩波書店刊)は,「一所懸命」を本見出しとし,「一生懸命」をから見出し扱いにしているが,『例解新国語辞典』(三省堂刊),『新明解国語辞典』(三省堂刊),『新選国語辞典』(小学館刊)などは,「命がけのこと」を意味する語としては「一生懸命」を本見出しにし,「一所懸命」を併記したり,古語扱いにしたりしている。さらに『例解辞典』(小学館刊),『NHK編 新用字用語辞典』,『朝日新聞の用語の手引』(朝日新聞社刊)などの用字用語辞典は,ほとんど「一生懸命」に統一している。
以上のことから判断すると,現在の学校教育においては,表現学習や語彙学習の場合には「一生懸命」が望ましいと思われる。なお,教科書の文学作品においては原典を尊重し,『オツベルと象』では「一生懸命」(原典は「いつしやうけんめい」)を,『蜘蛛の糸』『坊っちゃん』では「一生懸命」(原典は「一生懸命」)を,『ごんぎつね』では「一生懸命」(原典は「一しょうけんめい」)を使用している。
この記事は,画面の幅が1024px以上の,パソコン・タブレット等のデバイスに最適化して作成しています。スマートフォンなどではご覧いただきにくい場合がありますので,あらかじめご了承ください。