数学問はず語り 第3回
『円』の世界,『楕円』の世界(その1)
岡本光司(元静岡大学教授)
「円」は「まる」である。「まる」には「完全無欠」という意味がある。
『浪士たちの円は,獲物を見つけたりと,爛々に輝いた瞳になっている。鋭い勢いと緊張感とで,鉄の円になっている,ここで剣を抜きあわせれば,たちまち円の餌食になってしまうだろう。だから,味方のいないたった一人の沖田総司は,この円の包囲を破るために,相手の円を無視することにきめたのである。無視することによって自らが円になった。』(草森紳一著『円の冒険』晶文社)
沖田を囲む一点の隙きもない浪士たちの刃の輪,それを破る方途はただ一つ,自らが円になること。この文からは,今まさに始まらんとする壮絶な斬殺の時を前にした緊迫感が伝わってくる。
「円」には,こうしたニュアンスもあるが,一方で,明るく,暖かく,希望を語ってくれる言葉でもある。
『僕は偉大なそして大好きなジョン・レノンのために,円を描こうと思う。肯定の円,YESの円,世界の円,平和の円。もう二度と新しく発表されることのないジョンのレコードのために,心をこめて,円を,描く。
さようなら,そしてありがとう,ジョン・レノン。』(高橋常政『絵のあるエッセイ』クロワッサン)
これは,若くして去っていったジョン・レノンへの賛歌であり,熱き想いである。そのための言葉は,「円」をおいて他になかったのだろう。「円」でなければならなかったのだろう。
また,こんな「円」もある。禅の老師,仙厓禅師が描いた「円相」は,子どものいたずら描きのような「円」にもみえるが,その横に「是くふて茶呑むさい(是を食ってお茶でも飲もう)」とかすれた字で書かれている。その「円」は,凡人が知るよしもない,老師ならではの悟りの境地を表しているのだろう。
こうした「円」を,コンパスを使えば小学生でも簡単に描くことができる。コンパスは円の性質をうまく用いたすごい「道具」なのだと思う。また,文字式を使うと,x2+y2=a2という簡潔できれいな式で表すことができる。この式を満たす(x,y)を座標平面上にとると,(0,0)を中心とし,aを半径とした円になる。この関係もみごとである。
こうした図形の形状や式のあり様と,その図形が醸し出す世界とは深いかかわりがあるのではないか,私はそう思っている。「円」は,その典型である。
しかし,あえて言えば,「円」は,あまりに直截過ぎるが故に,簡明さを欠く屈折した世界を語るには相応しくない。人間のあり様にも社会のあり様にも,「円」をもって語り尽くせないものがたくさんある。いや,そのほうが圧倒的に多い。
ならば,「円」に突きを入れてみてもいいだろう。1定点を2定点に変えただけでも,世界が変わるかも知れない。