☆コラム 「先生方の言葉遣いについて」
保護者の方々からこんな声がありました。
「先生方の言葉づかいが,気になります。親しみを込めてのことと思いますが,言葉を学ぶ子どもたちにこれでよいのか気になっています。」クレームではありません。このままでは? と心配してくださっています。
子どもの前に立ち,子どもを育てる仕事としての立場から,私自身を振り返ることを通して考えます。私たち教師は子どもへの指導をすることを仕事としています。しかし,この意識が薄れているような場面を見かけ,はっとすることが多くなりました。仕事の相手は子どもたちです。
子どもに対する言葉は,(子どもだけでなく誰に対してもですが),相手に対する心の表れ。言葉をつかう,言葉づかいとは,心を適切に表すためにどの言葉をどのようにつかうかという意味ではないでしょうか。
ですから教師の言葉づかいとは,子どもたちに対する敬意をあらわす心の表れなのです。その基盤となるのは,人としての品性です。それは考え方や行動に表れますが一番伝わってしまうのが「言葉づかい」です。子どもたちに対する心が表れるからです。子どもたちに対し尊厳をもち,一人の人間として対峙する教師と,子どもだから教えてやっているんだという教師とでは,言葉づかいが全く違います。言葉は言霊。使い手の心が直に現れるのです。ちょっと思い起こしてみてください。気持ちが揺れたり,いらだったりしているとき,わかっているけれどついぞんざいな言葉を使っていませんか。気持ちが安定しているときには丁寧に。私にも思い浮かぶことがあります。
「丁寧」と「他人行儀」とは違います。ましてや親しみとぞんざいとは全く違います。言葉は相手との心のやり取りなのです。
相手に自分の気持ちを伝えるための言葉ですから,当然互いに「同じ言葉」の存在が有効です。子どもたちと担任の先生は,信頼という見えない糸を時間を重ねるなかで紡いでいます。ですから教師と子どもとが互いに使う言葉の根は,同じなのです。
どのような言葉や表現が伝え合えるのかは,その学級により微妙に違いがありますが,どの学級にも共通することは,互いを尊重する気持ちです。子どもが先生を尊重し丁寧な言葉づかいをするのは当たり前と考えがちですが,その逆に気付き,実践しているでしょうか。
子どもたちは自分に向けられる言葉を「言葉の宝箱」として無意識に蓄積していき,使っていきます。子どもたちが担任の先生の言葉や表現,考え方まで似てくるのに気付いていることと思います。つまりは,一日中一緒に過ごし,目の前にいる先生は子どもたちにとっての言葉を育てる,心を育む人的環境としての大きな存在なのです。
教師として「品性」のある上質な生き方を見せることに努めましょう。その姿に日々ふれることで子どもたちは無意識に品性を実感し,自分も先生のような大人になろうと憧れをもちます。先生を信頼し人やものに対する尊厳や丁寧さをもつようになるのです。
子どもたちのモデルになっているという意識をもち,子どもたちと共に資質・能力について考え,学び続けましょう。これからも「憧れとなる教師」として成長していくために。