☆コラム 学校の主語は「子ども」です。
何度も書いていますが,社会はめまぐるしく変化し,教育も驚くほどの速さで改善に取り組んでいます。私たち教師は,一日も早く授業改善に取り組み子どもへの責任を果たすべく,日々研鑽を積んでいます。
しかし残念ながら,ご自身が子どもの頃に受けた指導観のままで,子どもの前に立っている先生方がまだいらっしゃいます。今すぐ思い込みを捨て,子どものために意識改革をして改善を図りましょう。
学校の主語は子どもです
「子ども」は何を考え,何を感じ,何を獲得し「成長」したか,学校での「主語は子ども」です。
子ども主観に転換してから長い時間が経過しているにもかかわらず,未だに講義や語り中心の「主語は先生」の授業を多く見かけます。
先日参観したとある小学校の授業研究会でのことです。考えるのも,話し合うのも,思いを語るのも先生でした。授業はこのような感じでした。
「皆さん」と子どもたちに呼びかけながら,「ここをみましょう。これは○○と考えます。なぜならこのような理由だからです。それは...。」とずっと先生が話されていました。時折子どもたちに,「はい,ここで自分の考えを黒板に貼りましょう。」と声をかけます。子どもたちは言われるまま短冊に書いた自分の考えを,拡大された教材文のここと思われる個所に貼っていきます。
しかし「誰のために」「何を目ざして」という相手意識も目的意識ももてずに,ただ言われただけの行動をしているだけで,その表情は学習への意欲も関心も満足も見られません。そして先生が話す間,子どもたちはじっと黙っています。下を向いて黙っているけれど明らかにつまらなそうな表情や態度の子。机の下で手いたずらをしている子。先生の方を向いているので聴いているのかとその表情を見ると,目は先生を見ていても何か違うことを考えている子。
先生はそんな子どもたちの様子には全く関心が無いように,自分の語りを延々と続けていました。先生の表情は子どもたちとは逆に,ご自分の語りに満足したように嬉しそうでした。
ここでの問題点は,「自分の指導は正しい」と思い込んでいることです。この授業はとてもよくできたと授業後に感想を述べられました。なぜなら,しっかり説明したので子どもたちはわかったと言っていますとのことでした。経験年数の浅い先生ですが「よく説明すれば子どもはわかるから,語る授業がいい。」と。ここまで偏った考え方でないまでも,似たような考えや思い込みをもっていないか,この事例を手掛かりにしてご自身の授業づくりを振り返る機会として,意識改革に生かしましょう。学校の主語は「子ども」です。