☆コラム 「休校開けに,子どもたちとどう向き合うか」
「新型コロナウィルスの影響を受け,来年度はどのように子どもと向き合うのか本当に困っています。」経験年数に関係なく,聴いてくださいという投稿がありました。内容は以下の通りです。
「学校あげての大きな行事があるので,校内研究の授業はなしとします。講師も呼びません。教科も決めず,資料の読み合いや研修を受けた人の話を聞く程度とします。今年度は行事を成功させることだけに集中すればよいです。一年間だけだから授業研究しなくても問題はない。来年また授業研究すればよい。」
皆さんはこれをどのように考えますか。私は若い頃の同僚二人の姿を思い出しました。
一人は,〈やる気 ない子さん〉。行事は忙しい。わずらわしい。いつも以上に大変だ。時間もかかるし授業研究などやっている暇はない。当然ね。
もう一人は,〈わかって いる子さん〉。「え,授業研究しないのですか。すべての基盤は授業からと指導されてきました」。私たちの授業力向上は個人任せ? 初任の人や経験の少ない人はどうやって授業を学ぶの?
ここには大きな二つの問題点があります。一つは「授業」に対する考え方。二つめは,一年間という「時間」に対する考え方です。
さて,皆さんよく考えてみましょう。行事を含め,子どもたちに資質・能力を育成する場は,どこでしょう。学級経営の場ですか。具体的に並び方や礼の仕方を学ぶ場ですか。それとも出し物を練習する場でしょうか。その方法は先生からの説明や伝達ですか。言われたとおりに真似するのですか。
違いますね。学び続けている皆さんは,よくわかっていると思います。
資質・能力育成の場は,「授業」です。授業が全てです。授業の中で課題に向き合い,自分で考え友達と考えを深め高め合い解決していく。その過程やその実感から,「何を」「どのように」すべきかを子どもたちは実感し,実践していく力をつけていくのです。それが学習するということです。
学習を通さないということは,教師の言うとおりに動くということですから,そこにはなぜ何のためにそのようにする必要があるのか目的意識もありません。ましてや誰のためにするのか相手意識ももてません。同席するお客様に見せるのですか。意味が全く違いますね。授業での学習の積み重ねにより培った資質・能力がそこで発揮され,一人一人が考え行動するからこそ,観る人に素晴らしい,感動する行事となるのです。行事は日々の学校教育の成果が見える,見せる場なのです。この学校の教育を支えてくれた地域や保護者の皆さんに成果をお見せすることが,感謝であり,その成果を発表する場なのです。
さらに一年間という時間に対する間違いです。新学習指導要領に掲げられた内容を指導し,どの子どもにも資質・能力を育成する一年間です。子どもたちが身につける資質・能力,そして学習を通じて紡ぐ友達関係からの人としての成長。数えきれないほどの育ちを保証する一年間です。時間はそのまま子どもに対する教師の責任です。
そして,新しい学習評価も示され,教師が新しい教育の在り方を学び子どもたちへのさらなる力量を求められる年度という重要な時期なのです。それこそ,学校一丸となって授業力向上,教師の力量向上に取り組むべき時なのです。それが教師としての学校としての責任です。
さあ,こんな提案を見てあきれたり嘆いたりしているのは,時間の無駄です。ここは改めて,私たち教師は学ぶ重要さを再認識する場としましょう。話し合っても大人は変わりません。子どもたちを直接指導している先生方が,授業の大切さを認識し共通理解を図り,学年内での授業交換や学年合同授業など,互いの授業を見合いましょう。新しい学習評価への考え方などを何とかして授業を通じて話し合う機会をもちましょう。授業は45分すべてを見るのは難しくても,核となる部分だけでも見合うなど工夫はできます。
教師は授業で勝負する。決して忘れてはならないことだと強く認識します。