☆コラム「小学校の教師だからこそ,つけたい力」とはについて考えます。
「できないのは,なぜ?」子どものつまずきに気づける感性をもちましょう。
教師の指導とは何かを考えると,教科の学習指導や生活における指導,友達関係を紡ぐ指導など思い浮かぶ内容があります。これは中学校教師でも同じです。
しかし,小学校には,生涯の学びを始めたばかりの「小学校だからこその指導」があるのです。そこに気づく感性と「できない」その原因を見取り,子どもに力のつく指導をする,そんな力が小学校教師に求められる力量なのです。中学校との違いは,できない原因となるつまずきが大人には当たり前の思いもかけないことだからなのです。
ですから,まず一人一人の「できないのは,なぜ?」に気づくことです。
例えば漢字の指導を例に考えます。
「山」。山の形から漢字の「山」を思い浮かべその形から漢字を見出す,指導法です。
富士山を思い浮かべましょう。日本で一番高い山です。その周りの山はどの山も富士山より低い。一番高い富士山をまず真ん中に描き,その周りに取り巻く形で低い山々を描きます。すると漢字の「山」が見えてきます。こうして漢字の成り立ちの指導が行われるのです。子どもたちは「うわっ」と驚きや感動をもって楽しそうに取り組み漢字への関心を高めます。そして漢字が書けるようになりたい。覚えたいと意欲を高めます。ここまでは誰もが取り組んでいる指導と子どもの姿です。
では,なぜ書けるようにならない子どもがいるのでしょう。
ここからが極めどきです。この指導は,「子どもは鉛筆を正しく持てる」という前提のもとに漢字を書く指導が行われているのです。しかし,小学校の子どもにはこの指導以前に,鉛筆を正しくもつことができていないという実態があるのです。鉛筆を「正しくもてない」ために「漢字が書けない」という実態になっているのです。
「できないのは なぜなのか」に気づく,子どものつまずきを見取る力が必要なのです。
子どもの姿は一見,鉛筆をもって漢字を書いているように見えます。しかし,鉛筆を持つ手に焦点を当ててよく見取ると,鉛筆の先が手の内側に入っています。さらによく見取ると,芯が見えていないため自分が書いている字が見えていません。しかもこのままで書くと,文字の大きさは一センチ未満。あまりにも小さいため正しく書けているのかわかりません。書いた漢字は,小さいだけでなく形も不明瞭です。ひらがなに比べ画数の多い漢字は,正しく書けているのか以前に,書けているのかさえ見えないのです。
このように漢字が書けないなど,子どもの「できないのは なぜ?」の小さなつまずきを気づき・見取る力が,小学校の教師にとっての重要な力量なのです。気づく感性や見取る力をつけて子どもの「できない」の声を聴くことの「できる教師」になりましょう。