もう一度古典を読もう
準備運動 だじゃれが好きな日本人――「唱歌」を読む
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●はじめに●
♪明けて、ゾケサは別れ行く(蛍の光)
♪思えば愛しいこの年月、今こそ別れ目⋯⋯(仰げば尊し)
♪うさぎおいしいかの山⋯⋯(故郷)
言葉を知らなかった小学校時代に覚えて、誤解したままでいる歌はありませんか。
「唱歌」は古文調の難しいものが多く、しかもその後学び直すこともないので、疑問を抱えながら、または全く疑問にも思わす、誤解したまま覚えていることが多いようです。
私が聞いた最高傑作は(古文調ではありませんが)「シャボン玉」(野口雨情)。「シャボン玉飛んだ、(シャボン玉のみならず)屋根まで(もが)飛んだ」――大風の歌だと思っていた知人がいました。
「もう一度古典を読もう」準備運動は、「唱歌」を読み直すところから始めましょう。
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「蛍雪」の故事――
蛍の光、窓の雪
書読む月日、重ねつつ。
いつしか年も すぎの戸を、
あけてぞ けさは、別れゆく。
この歌は、別れや新しい門出の場でよく歌われます。この歌詞の「いつしか年も すぎの戸を」の部分は、「すぎ」という語が、「年も過ぎ」と「杉の戸を」という二つの意味で用いられています。
このように、同音異義を利用して、一つの語(あるいは語の一部)に二つの意味を担わせる技法を
掛詞は和歌の修辞として生まれたものですが、和歌に限らず用いられるようになります。例えば、江戸時代に三味線を伴奏として演じられた人形浄瑠璃の台本に、
「明けなばうしや天神の、森で死なんと手を引きて」(近松門左衛門『曽根崎心中』)
とありますが、ここでは「うし」に「憂し」と「牛(天神の使いと考えられた)」が掛けられており、流麗な語りを支えていることがわかります。また、寛政の改革を進めた松平定信の文武奨励策を皮肉った狂歌として名高い、
「世の中にかほどうるさきものはなしぶんぶといふて夜も寝られず」(作者不詳)
では、「かほど」に「蚊ほど」と「かほど(これほど)」が、「ぶんぶ」に蚊の飛ぶ音と「文武」とが掛けられています。
この諧謔を楽しむ表現は、「恐れ入谷の鬼子母神」「その手は桑名の焼き蛤」といった言葉遊びと結びつき、現代のいわゆるだじゃれの中にも、その姿を認めることができます。